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2006年12月24日以来やってきました。 Recto Berso(レクト・べルソ)とそのスタッフの音楽にかかわる情報を載せています。
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 ここ数年、「脱力」することがもちあげられています。同時に、「ゆるゆる」とか「ぐだぐだ」とか、脱力を喚起する語が、ある行為の状態や、行為の主体のスタンスや状態を形容するために用いられます。そして多くの場合、「脱力」することは、ポジティヴにとらえられています。ひとは積極的に「脱力」し、また、「脱力」するひとを鑑賞します。音楽にもこうした傾向はみられ、「ほっこり」したカフェで、「脱力」したステイジを、「ゆるい」ムードにひたって、楽しむ音楽家も音楽愛好家もあとをたちません。
 わたし自身は、とくに「脱力」を支持しませんし、愛好しません。よって、「脱力」するひとたちはどこからでてきて、じつのところなにを楽しんでいるのか、ほんとうに「脱力」しているのか、といった疑問がふつふつとわいてきます。
 あるひとが生きていくこと、その構造を、そのひとが「できること(しうること)」、「したいこと」、「しなければならないこと」をという視点から一定のしかたで整理することができるでしょう。(ただしここで、「できること」は、「可能性」ではなく端的に「可能なこと」を意味します。つまり、将来できるかもしれないことではなく、いまできること、すなわち「できていること」と考えてよいでしょう。)
 ひとは「したいこと」に対して、「できること」をあてがい、「したいこと」から「できること」までの隔たりを「しなければならいこと」で埋めます。これが第一の生きかたで、たいてい、こどもを育てるひとたちは、基本上この構図にのっとりますし、こどももこの構図を了解します。ただ、実践するうちに、「しなければならないこと」が先に来て、「したいこと」がひっこんでしまうと、いわゆる「つめこみ」とか、「受験戦争」ということばで批判される構図にシフトします。
 こうした構図を批判するひとたちには、「したいこと」があって、「できること」があり、「しなければならないこと」が規定されるのが自然だという前提があります。「つめこみ」を実践するひとたち(親や教育者)は、自分の「したいこと」(こども立派にしたてあげたい)をこどもにあてがい、結果、こどもからみれば、親の「したいこと」は自分にとって「しなければならないこと」となって現れるだけで、自分の「したいこと」ではない、ゆえに、親は構図をくずしているので、批判されることになります。
 他人がくれる「しなければならないこと」をうのみにして、そつなく、楽に、うまく生きるこどがもいます。それはそれで問題はありません。
 ぎゃくに、他人から課せられるという、それだけでいやになってしまうこどももいます。しかしながら、そうしたこどもは、いざ、では「したいこと」を自分で設定して、「できること」を引いて、「しなければならないこと」をみちびきなさい、と言われれば、かならずしもできるわけではありません。「しなければならないこと」をおしつけられるのはいや、しかし、自分で「したいこと」をみつけることはできない、結果、うまくいかないことを他人のせいにしたり、自分のせいにしたり、右往左往します。
 こうしたこどもが考えつく別の生きかたがあります。それは、「できること」を出発点に生きる生きかたです。「したいこと」に対して「できること」をあてがうのではなく、「できること」に「したいこと」を合わせてしまうのです。つまり、できることしかしない、無理をしない生きかた。これが冒頭に述べた「脱力」とか、「ゆるい」と形容される在りかたに通じています。「趣味に生きる」、「素人の愉しみ」といったものも、場合によれば、この部類に入るでしょう。
 この生きかたは、「脱力」と言いつつ、けっこう狡猾なやり口です。こうした生きかたをするひとたちは、「価値の転倒」をはかっています。「貧しきひとはさいわいなり」の原理で、高くておいしいものが食べたい→金がない→成功して金持ちになろう、といくのではなく、金がない→安いものしか食べられない→安いものもじつはおいしい、高いものはじつは高いだけでおいしいかどうかわからない、おいしいとしてもたまに食べるからおいしいのだ、質素な生活こそじつはしあわせだ、と、金額の高低は、「表面上の価値」で、「真の価値」のうえでは、金額が高いものこそ低く、金額が低いものこそ高いのだ、と価値体系を反転させてしまうわけです。つまり、従来の価値とは別の「真の価値」をたてて、自分の「できること」こそが「したいこと」である、と、したがって、「しなければならないこと」はもはやない、といなおってしまうわけです。これは、従来の「力」、つまり、下から上へはいのぼる力(いわゆる努力)を否定し、上と下を支える価値の枠組み全体を、その枠組みの外から、別の「力」を使ってひっくりかえす作業で、「脱力」どころではありません。
 にしても、この価値転倒が自分の内部で成功すれば、それでうまく生きられるのでしょうか。この生きかたには、じつはジレンマがあります。この生きかたによれば、いかにも脱力して、自然体に、自分なりに生きられるように思いますが、価値転倒は、じっさいには自分「ひとり」ではできません。新たにたてられる「真の価値」も、じつはある程度ひろく認知されていないと、転倒は成り立ちません。つまりは、「脱力」はよいですよ、という前ふれこみがなければ、「脱力」できないのです。努力を回避すべく別の生きかたをさがすひとは、そのとき、新たな価値体系をさがしているだけで、価値そのものを否定してはいないからです。努力はしなくても自分なりに生きればそれでよいですよ、言っているひとたちがそこそこいるので、そのメッセージをこれはしめた、と無批判に真に受けただけです。けっきょくは、「しなければならないこと」を回避しようとすること自体を「しなければならないこと」に設定しているだけです。
 ほんとうに「脱力」できるひとは、なんらの価値体系をも必要としません。そのひとが「できること」は、期せずして「したいこと」に一致しており、「したいこと」を「できること」にひきよせる力を必要としません。ほんとうに「脱力」できるひとは、そもそも「しなければならないこと」があることに対して不快感すら感じません。元々「脱力」しているので、「脱力」を知りもしないのです。生きていくうえでひとたび課題に不快感を感じ、努力からの回避のために「脱力」に走るひとは、楽に生き「なければならないこと」からいつまでも逃げられず、けっきょく価値転倒をくりかえして、右往左往してしまうのでしょう。
 ステイジ上で「脱力」のムードにひたっているひと、「自己の解放」感にひたっているひとをみると、いたいたしく感じるのは、こうした「脱力」の構造が在るせいかもしれません。そうしたひとたちが真にめざすべきは、脱「脱力」なのかもしれません。(春木)

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プロフィール
HN:
Recto Berso
年齢:
17
性別:
女性
誕生日:
2007/01/13
職業:
音楽家
趣味:
作曲、川柳
自己紹介:
Recto Berso(レクト・ベルソ)

 西中、春木、ふたりの自作自演歌手から成るロック・アンド・ロール・グループ。グループ名は、ラテン語のRecto Verso(おもて、うら)に由来。ひとをはっとさせる、かつ親しみやすいメロディをつむぎ、地域、時代にとら われず広く長く世に歌い継がれる歌をつくりだすことがヴィジョン。英語、フランス語、日本語でつづったオリジナルレパートリーは30曲、ストック曲は 120を越える。東京を中心に生演奏会を展開。楽器、録音器材にこだわりぬいた100%手づくりの音源もききもの。現在、岡田徹(ムーンライダーズ)のプ ロデュースのもと1stミニアルバム(2012年8月発売予定)を制作中。

 使用録音マシン:Telefunken V72a 1960年代製、Telefunken V76 1960年代製、Telefunken U83 1950年代製、Microtech Gefell UM92S 1990年代製、Telefunken D19 BKHI 1960年代製、AKG B200 1960年代製、AKG D19CRCA 77DX 1940年代製、Neumann W444sta 1970年代製、Eckmiller W85

ヒストリィ:
2006年10月 西中と春木が出会う。
2007年1月 「Recto Berso」結成、および初めての生演奏会をする。
2007年3月 インターネットラジオ「噂のギグ」に出演する。
2007年6月 インターネットラジオ「噂のギグ」に出演する。
2007年11月 吉川忠英氏らとセッションする。屋敷豪太氏も同席。勉強する。
2007年12月 EMI主催オーディション 第1回Awake Sounds Audition 準優勝をおさめる。
2009年2月 ビーイング音楽振興会主催 2009BADオーディション最終選考通過
2009年3月 アルバム完成にむけて、録音をいっしょうけんめいにする。
2010年7月 アルバムのプリマスター版が完成する。
2010年10月 音密団により発掘、育成される。
2011年7月 BELAKISSのメンバー全員に、プリマスター盤を手渡す。
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