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2006年12月24日以来やってきました。 Recto Berso(レクト・べルソ)とそのスタッフの音楽にかかわる情報を載せています。
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cdcb28edjpeg みなわかったように「あいつはへたうまだ。」などとしばしば言いますが、あまりだれも、「へたうま」とはなにかをよくよく考えていないように思います。
 第一に、へたうまは、パラドクスです。「へた」と言っておきながら「うまい」と言う。へたうまと言うとき、一見へただけどじつはへたでない、と言いたいのか。ちがいます。むしろ、へただけど、へたなまま、あるいはへただからこそへたではないと言いたいのでしょう。つまり、へたがエレメントとなってへたではないことが成立している、典型的なパラドクスです。パラドクスがなんらかの意味をもって成立する以上、そこには種としかけがあるはずです。
 わたしのつくった料理を食べたひとが「うまい」と言えば、それは「美味い」を意味します。ついで「きみは料理がうまいね」と言うとき、それは「上手い(巧い)」を意味します。「美味い」と「上手い」、こられ二つのうまいのニュアンスのちがいに気づくこと、これがへたうまを解き明かす第一歩です。
 つまり、へたうまは、ある種の価値評価ですが、そこには二重の価値が介在しています。ひとつは、最初の「へた」です。これはたとえば、音楽の演奏において、単純な意味で音高がずれているとか、リズムがよれているとかいう事実を評価しています。おおきくまとめれば、頭で理解できる技術にかんする評価をしています。うしろの「うま」は、頭で理解できる技術ではなく、あるいは、技術ですらなく、ほとんど「よい(「好き」と置き換えてもよいが、ややこしくなるのでとりあえず「よい」でいきます。)」と一緒ですね。「うま」と言いつつも、じっさいには、技術にかかわることを評価しているのではないです。単なる「よい」という感想です。
 そのことを踏まえれば、へたうまは、じつは、元々は「うまへた」です。ややこしいことを言うようですが、以下のような意味で、です。うまへたは、へたうまの反対だととらえると、「技術はすぐれているのに、悪い」という意味です。その場合、最初の「うま」は技術にかかわる評価で、後の「へた」は、端的に「悪い」という感想です。それに対して、へたうまが元々うまへたであると言う場合のうまへたは、「よい、でも(よい割りには)技術は劣っている」という意味です。へたうまというのがききての評価であるかぎりは、へたうまという評価の前に、うまへたという評価がないとおかしいと思うのです。つまり、まず、ある音楽(家)にかんして、

1.「うまい(よい)」という評価があり、
2.よいけども意外に「へた(技術的にうまくない)」だという評価があり(「うまへた」となる。)、
3.そして、そこから、へたな部分がうまくなればさらによくなるかと言えばそうではなくて、実はへただからこそうまかった(よかった)のだというあとづけの事実が加わり、「へたうま」となるのです。

 ゆえに、「ほんとうは」へたうまは、たんにうまい(よい)だけであって、へただからこそうまい(よい)のではなく、うまい(よい)音楽(家)が、〈たまたま〉へたであったというだけのことです。つまり、言いたいのは、「へたうま」という評価をするひとは、ある音楽が、(技術にかんして)へただから(こそそのことによってかえって)、うまい(よい)という因果関係を築いているわけですが、なにを根拠に築いているのかということです。
 (技術にかんして)うまいという時点で、そもそも(技術にかんして)うまいことは、うまい(よい)感想をもたらすという前提があります。そうでないと、うまいという見方自体が発生しないからです(つまり、そもそもは、美味い料理をつくる技術が、上手い技術だとみなされるわけです。)。他方で、へたうまは、ふつう((技術にかんして)うまいがうまい(よい)につながる場合)とはちがって、(技術にかんして)へたがうまい(よい)につながっているという評価です。その場合、(技術にかんして)へたなことがうまい(よい)につながるには根拠が必要です。なぜなら、前提に反することを言おうとしているからです。しかし、じっさいには根拠はありません。とすれば、なぜ、(技術にかんして)へたなことがうまい(よい)につながると言えるのか。それは、じつは、へたなことがうまい(よい)につながることがあるということもまた前提であるからです。
 つまり、へたうまを叫ぶひとは、ふつうとはちがって、(技術にかんして)へたなことがうまい(よい)につながるということを言おうとしているにもかかわらず、言う前にすでに、(技術にかんして)へたなことがうまい(よい)につながるということはある種の周知の事実なのです。このことは、A=Aを理解するために、「A=A」を知っていなければならないというのと同じでしょうか。
 以上のことから、へたうまと言うときの「へた」には、すでに、「(へただけれども)うまい(よい)につながる」という意味が含まれていることになります。とすれば、へたうまの「へた」は、最初から、へたではなく、うまい、です。だから、へたうまは、「うまうま」つまり、たんに、うまい(よい)ということを言っているにすぎないのです。
 「へたうま」の意味を理解するためには、(技術にかんする)へたが、うまい(よい)につながることを知っていなければなりません。しかし、(技術にかんする)へたが、うまい(よい)につながることを知っているならば、いまさら、へたうまという評価をする意味はなく、へたうまは、たんなるうまい(よい)と同じ意味になってしまいます。うまい(よい)、そして、たまたまへたである、と言うにすぎません。うまい(よい)、そして、たまたま声が低いというのと同じように。」
 上記から、わたしが言いたいことは、要するに以下のことです。すなわち、「よい」という感想をもたらす演奏をそもそも「うまい」と言うはず(それがうまいの文法上正しい使いかたである)です。にもかかわらず、「よい」という感想をもたらしているある特定の演奏を、なぜ「へたうま」と評価するのか、ということです。音高がずれていようがなかろうが、ある音楽が「よい」という感想をもたらすならば、その音楽の技術は「うまい」と言わなければならないのではないでしょうか。「へたうま」だと言いながら音楽を鑑賞することは、「まずい。まずい。」といいながら満面の笑みで、ある料理を口に運び続ける行為に等しいです。
 「へたうま」がすでに成立し、コンセンサスを得ている以上、へたうまという「うまい」感想をもたらす技術を一つの「うまい」技術だとらえることもできるし、じっさいひとはそうしています。ということは、へたうまをやろうとして成功するときは、へたうまうま、失敗するときはへたうまへた、と言われるのでしょうか。
 ともあれわれわれが考えるのは、われわれのつくる料理(音楽)が、「巧い(うまい)けど不味い(まずい)」と言われるか、「拙い(まずい)けど美味い」と言われるか、どちらがうれしいか、ということです。
(春木)

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プロフィール
HN:
Recto Berso
年齢:
17
性別:
女性
誕生日:
2007/01/13
職業:
音楽家
趣味:
作曲、川柳
自己紹介:
Recto Berso(レクト・ベルソ)

 西中、春木、ふたりの自作自演歌手から成るロック・アンド・ロール・グループ。グループ名は、ラテン語のRecto Verso(おもて、うら)に由来。ひとをはっとさせる、かつ親しみやすいメロディをつむぎ、地域、時代にとら われず広く長く世に歌い継がれる歌をつくりだすことがヴィジョン。英語、フランス語、日本語でつづったオリジナルレパートリーは30曲、ストック曲は 120を越える。東京を中心に生演奏会を展開。楽器、録音器材にこだわりぬいた100%手づくりの音源もききもの。現在、岡田徹(ムーンライダーズ)のプ ロデュースのもと1stミニアルバム(2012年8月発売予定)を制作中。

 使用録音マシン:Telefunken V72a 1960年代製、Telefunken V76 1960年代製、Telefunken U83 1950年代製、Microtech Gefell UM92S 1990年代製、Telefunken D19 BKHI 1960年代製、AKG B200 1960年代製、AKG D19CRCA 77DX 1940年代製、Neumann W444sta 1970年代製、Eckmiller W85

ヒストリィ:
2006年10月 西中と春木が出会う。
2007年1月 「Recto Berso」結成、および初めての生演奏会をする。
2007年3月 インターネットラジオ「噂のギグ」に出演する。
2007年6月 インターネットラジオ「噂のギグ」に出演する。
2007年11月 吉川忠英氏らとセッションする。屋敷豪太氏も同席。勉強する。
2007年12月 EMI主催オーディション 第1回Awake Sounds Audition 準優勝をおさめる。
2009年2月 ビーイング音楽振興会主催 2009BADオーディション最終選考通過
2009年3月 アルバム完成にむけて、録音をいっしょうけんめいにする。
2010年7月 アルバムのプリマスター版が完成する。
2010年10月 音密団により発掘、育成される。
2011年7月 BELAKISSのメンバー全員に、プリマスター盤を手渡す。
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