2006年12月24日以来やってきました。
Recto Berso(レクト・べルソ)とそのスタッフの音楽にかかわる情報を載せています。
何度か共演した詩人イルボンさまが、インターネット上でコンクールに参加しています。
どうぞ投票してあげてください。われわれもむかしは、投票のため、大阪、京都、神戸のインターネットカフェ計100件ほどをてわけして1日で練り歩いたものです。そのせつはお世話になりました。
イルボンさまからのメサジュ:
どうぞ投票してあげてください。われわれもむかしは、投票のため、大阪、京都、神戸のインターネットカフェ計100件ほどをてわけして1日で練り歩いたものです。そのせつはお世話になりました。
イルボンさまからのメサジュ:
この度、ショッピングサイトのカラメルが募集している【世界
一周雑貨バイヤー】に名乗りを上げました!
http://calamel.jp/buyer/
世界一周して雑貨を買い付けてくるシゴトです。
二十歳そこそこのフリーターには任せられん。
僕が行って来ます。
登録者のページから見た人が投票できるようになっていて、
投票数の上位20名が第二次審査に進めるようになってます。
あつかましいお願いだけども、毎日1日5秒程僕に力を貸して
くださいっ!iphoneからも投票できるみたいです!
こちらが僕の登録ページです。
↓↓↓
http://calamel.jp/buyer/?act=prof&byr_user_id=2295
冬なのにいま、わたしはせみの声をきいています。岩ではなく、冷気にしみいります。なぜかというと、38度のスチュヂオで録った歌たちを、いま、編集しているからです。背景に夏の音がざわめていてるわけです。半年ごし、どころか、じっさいには最も古い記録は、2007年の音です。
進めば進むほど分岐する無限回廊。しかし進まねばなりません。100テイクス、200テイクスの堆積のなかにときとして、燦然と輝く奇跡のテイクがあります。もちろんないときもあります。だれもできる、しかしだれもやりたがらないこうした砂金さらいこそが、ポップスを生むのでしょう。他方アンダーグラウンドに棲むひとたちは、こうした作業を嫌います。アンダーグラウンドのひとびとは、しばしば言います。「生演奏こそ最高だ。」「一発録りの空気感がいいのだ。」、と。ちがうでしょう。生演奏がよいのは、そのときの演奏が端的によいからであって、「生だから」よいのではありません。一発録りがよいのは、その一発録りテイクスが重ね録りテイクスにまさるときにかぎり、であって、「一発録りだから」よいわけではありません。
砂金さらいが面倒なひとは、砂金さらいなんて意味がない、砂金さらいよりも大事なことがある、と思いこもうとします。そうすると、砂金さらいを放りだすことを正当化できるからです。コンプレックスとルサンチマン(ねたみ)に基づく価値転換です。アンダーグラウンドからは、こうして堆積したねたみの死臭がぷんぷんとするのです。アンダーグラウンドの墓碑に彫られた金科玉条は、「自分らしいから」と「これが好きだから」です。だれも、あなたの「らしさ」も「好み」も要りません。
「意志は天を突くほどに、頭は地を這い、土をなめるように」と、あるおっさんは言いましたが、よいことばです。高い理想をもつ者ほど、体を動かし、ごみにまみれ汗をかき、他人に土下座もするのです。目立とうとして、他人を見おろそうとして、上がろう上がろうとするほど、理想は下がります。
Recto Bersoはアンダーグラウンドを見おろしますが、もちろん理想は高いです。「どのへんをめざしてるの。」と訊かれて、「バッハかビートルズです。」と答えると、しばしば苦笑されます。なぜでしょう。苦笑するひとをみて、わたしは胸のうちで苦笑します。バッハになることは「できる」のですよ。
とはいえさっさと終わらせて、晴れ舞台にたちたいものです。2010年にデビュも悪くない。
(春木)
進めば進むほど分岐する無限回廊。しかし進まねばなりません。100テイクス、200テイクスの堆積のなかにときとして、燦然と輝く奇跡のテイクがあります。もちろんないときもあります。だれもできる、しかしだれもやりたがらないこうした砂金さらいこそが、ポップスを生むのでしょう。他方アンダーグラウンドに棲むひとたちは、こうした作業を嫌います。アンダーグラウンドのひとびとは、しばしば言います。「生演奏こそ最高だ。」「一発録りの空気感がいいのだ。」、と。ちがうでしょう。生演奏がよいのは、そのときの演奏が端的によいからであって、「生だから」よいのではありません。一発録りがよいのは、その一発録りテイクスが重ね録りテイクスにまさるときにかぎり、であって、「一発録りだから」よいわけではありません。
砂金さらいが面倒なひとは、砂金さらいなんて意味がない、砂金さらいよりも大事なことがある、と思いこもうとします。そうすると、砂金さらいを放りだすことを正当化できるからです。コンプレックスとルサンチマン(ねたみ)に基づく価値転換です。アンダーグラウンドからは、こうして堆積したねたみの死臭がぷんぷんとするのです。アンダーグラウンドの墓碑に彫られた金科玉条は、「自分らしいから」と「これが好きだから」です。だれも、あなたの「らしさ」も「好み」も要りません。
「意志は天を突くほどに、頭は地を這い、土をなめるように」と、あるおっさんは言いましたが、よいことばです。高い理想をもつ者ほど、体を動かし、ごみにまみれ汗をかき、他人に土下座もするのです。目立とうとして、他人を見おろそうとして、上がろう上がろうとするほど、理想は下がります。
Recto Bersoはアンダーグラウンドを見おろしますが、もちろん理想は高いです。「どのへんをめざしてるの。」と訊かれて、「バッハかビートルズです。」と答えると、しばしば苦笑されます。なぜでしょう。苦笑するひとをみて、わたしは胸のうちで苦笑します。バッハになることは「できる」のですよ。
とはいえさっさと終わらせて、晴れ舞台にたちたいものです。2010年にデビュも悪くない。
(春木)
ところが、です。どんどんどんどんコーヒーの量を減らしていくとついに、100%牛乳にたどりついたのです。スターバクスでも、ワイトホットチョコレイツというものを頼みます。コーヒーは入っていません。
コーヒーなど、はなから飲まなくてよかったということです。酒もからしもわさびも、いやなら摂る必要はありません。おとなの味、と言われているものは、それがおいしいと思ってしまうと、子どもが終わる、のでしょう。にもかかわらずみな、こぞってわかろうとします。たぶん暇だからなのでしょう。
むかし双葉双一さんが、「ひとりで生きていけない理由なんて、だれにもないのさ」と歌っておられました。まさにそのとおりです。すばらしい洞察。ひとりで生きているのではない、とわかることがおとなになることだと思いこんでいるひとがどれほど多いことか。いや、むしろ、ひとりで生きているのではない、とわかることはおとなになることです。しかし、かしこくなることではありません。
なければならないこと、はどこをさがしても、ありません。なぜなら生きなければならないことすらも、ないからです。かといって、死ななければならない理由もありません。
生きる「べき」か、死ぬ「べき」か、それは問題ではありません。ただ生き「たい」か、死に「たい」か、それだけが問題です。
(春木)
イベント名「アジアンソウルVol.4」
OP 19:00
ST 20:00時頃 チャージ1000円(ドリンク別)
演者 : Berso(Nishinaka)
寺山リウジ
MIKI
演奏時間は約30分程度です。
先着3名様にRecto Berso Demo を差し上げます。
お早めにどううぞ。
新開地一番星食堂にはよくお世話になっている。
おすすめは“ウィルキンソンジンジャーエール”です。
辛さが癖になる炭酸飲料です。
よろしくお願いします。
ギターを弾くひとにとって、ネックのにぎりはしばしば大事です。音もよいし、みかけもよい、が、ネックのにぎりがいまいち、ということで気に入らないギターもでてきます。
よいネックグリップを評して、日本人は「手に吸いつくようだ」と言うことがあるいっぽうで、アメリカ人は、売り文句に”just as comfortable as an old friend”などと表現しもます。よい表現です。だれの友だちなんだよ、とつっこむのやぼです。だれの友だちでもあるのです。何年、何十年も使いこんできて、慣れ親しんだからここちよい、というのではないからです。はじめてにぎるのに、すでに何十年もにぎり続けてきたようにしっくりくるのです。
じっさいに慣れ親しんだからよい、というのであれば、ほんとうに「よい」かどうかなんて、わかりません。くされ縁は、しょせん「くされ」です。よいものは、慣れ親しんでいないのに、慣れ親しんだのと同程度によいから、よいのでしょう。タイム・パフォーマンスがよい、つまり、慣れ親しむための時間をロスせずにすむわけです。(春木)
よいネックグリップを評して、日本人は「手に吸いつくようだ」と言うことがあるいっぽうで、アメリカ人は、売り文句に”just as comfortable as an old friend”などと表現しもます。よい表現です。だれの友だちなんだよ、とつっこむのやぼです。だれの友だちでもあるのです。何年、何十年も使いこんできて、慣れ親しんだからここちよい、というのではないからです。はじめてにぎるのに、すでに何十年もにぎり続けてきたようにしっくりくるのです。
じっさいに慣れ親しんだからよい、というのであれば、ほんとうに「よい」かどうかなんて、わかりません。くされ縁は、しょせん「くされ」です。よいものは、慣れ親しんでいないのに、慣れ親しんだのと同程度によいから、よいのでしょう。タイム・パフォーマンスがよい、つまり、慣れ親しむための時間をロスせずにすむわけです。(春木)
急遽11月23日(月) 神戸一番星食堂 で演奏します。
お時間がございましたらぜひお越しください。
お越しいただいた方には先着3名様にRecto Berso demoを
無料で差し上げます。
19:00 オープン
19:30 スタートです。
入場料¥1000(ドリンク別)
秋山伸彦
青木ヨーマ
島田勝正
(Recto)Berso
今回は春木(Recto)が家の中で忙しいため、西中(Berso)のみで演奏します。
それでもいつもの半分はお楽しみいただけます。
共演者の秋山伸彦は必見です。
一番星食堂ホームページは以下です。
http://x68.peps.jp/ohoshiichiban
録音中、というと、マイクを立てて、というイメージがあるかもしれませんが、いまは、ひたすらパーソナルコンピューターに向かう日々です。ひとくちに録音(レコーディング)といっても、厳密には、おおまかに、文字どおりの録音(音声記録)と編集の段階にわけることができます。編集の段階では、たくさん録られた音のどれを使うか、あるいはどのように加工するか、あるいはしないか、を検討、実行します。加工の過程で新たな「音」を生成し、記録することもあるという意味では、ひろい意味では、たしかに「編集」もまた、録音の過程に含むことができます。レコードが一つの料理だとするならば、大根とかにんにくなどの材料を揃えるのが録音の段階、材料を加工する調理の段階が編集と考えればよい、とおもいます。今回のレコードづくりは、畑用の土地を見定めて買うところからはじめました。土をならして、種をまき、大根をかりとり、煮るところまで進んできています。こう考えたら、けっこうたいへんな道のりかもしれません。
つまり、いま、記録の段階はほぼ終えて、編集の段階にいます。今回のレコードに入れる曲では、ほとんどの歌パートに、ダブルトラック(トラッキング)という方法を適用しています。ダブルトラックとは、要は、同じ音程の、同じ音長の同じ音色の音(たとえば同じ歌手の声)を二つ(以上)同時に鳴らす方法のことです。この場合の「同じ」は厳密には、「ほぼ同じ」であって、まったく同じではありません。いまは音のディジタル複製ができ、ディジタル複製をした音は原理上、同じ音です。同じ音を二つ鳴らせても、個別の音よりただ大音量の一つの音が鳴るだけで、つまりは、「二つの音」になりません。ですから、ダブルトラックという方法は、「あらかじめ差異を含んだ同一の音」を複数鳴らす、というコンセプトに基づいています。
ダブルトラックでなにができるのでしょうか。ダブルトラックの処理を受けた歌パートは、きいたときに、たいていの場合、一つの音よりもよりふくよかな一つの音、となります。二つの異なる、しかしきわめて似た音がたがいに干渉しあいながら響きあうことで、ごく短いエコーにも似た効果が生まれます。しかし、エコーとはちがいます。ダブルトラックの二つの音は原音と残響音という固定した役割をもちません。どちらもがたがいに対して原音であり残響音であるというアンビヴァレントな在りかたをします。こうした、一つの音でありながら二つの音であるダブルトラックを使うにさいしては、一つの音と二つの音のあいだのどこに自分の理想のダブルトラックを位置づけるか、そのバランスのとりかたがポイントとなります。
二つの音の差異が激しい場合は(たとえば二つの音のあいだで音程がひどくずれている場合などは)、ふくよかな一つの音ではなく、たんなる二つの音(ツートラックス)にきこえます。こうなっては、ダブルトラックの醍醐味はありません。ぎゃくに、かぎりなく一つの音に近づける方法、アーティフィシャルダブルトラック(トラッキング)という特殊な方法もあります。これは、音声記録の段階では同一の音から、編集段階で異なる二つの音をつくることです。つまり、アナログ複製によってダブルトラックをつくります。ディジタルとはちがって、アナログで複製した場合は、複製であっても、複製媒体の不純物が混ざるため、完全に同一のものができません。この不完全な複製性能を(ある意味では)利用して、一つの、しかし二つの音を鳴らすことができます。ただしこの場合は、上手に不純物が混ざるしかたで複製しなければ、たんにちょっと大音量の一つの音にきこえてしまいます。
今回のレコードでは、音声記録段階で異なる音に基づくダブルトラックをつくっています。この方法でいく場合は、経験則でいえば、はじめから(ナチュラルに)に異なる音を用いるので、あとはナチュラルなレヴェルでの差異を小さくする、つまり歌手の側のスタンスで表現すれば、できるかぎり同じように歌った音を用いるときのダブルトラックの響きが理想です。これは歌手の側にしてみれば、ある種の制約にもなります。たとえばビートルズ初期のレノンのダブルトラックの歌パートには、ばらばらな感じ、つまり二つの音にきこえてしまうという傾向があります。他方で、マッカートニィのダブルトラックはよりまとまっています。これは裏から言えば、レノンの歌のスタイルに、マッカートニィに比べて、よりソウルフルな要素がある、ということです。ソウルフルとは、表現が豊か、というくらいの意味で言っておりますが、分析的に言えば、声のトーンのめまぐるしい変化や、シャウトやかすれといった歌手自身が制御しにくい効果音といってもよい技術を多用する、ということです。とくにレノンの場合は、そうした技術の効果をある程度偶然にまかせているので、そもそも同じように歌おうという意識も希薄です。こうした、ある種の一回性、あるいは、歌うたびごとのばらつきを醍醐味とする歌の表現上の要素は、いわばアーティフィシャルダブルトラックにになるべく近いナチュラルダブルトラックを志向する場合、ダブルトラックには向かない、と言えるかもしれません。もちろん完全にコントロールされたソウフルネスがあれば、問題はないでしょう。しかし、そうした表現力を得ることは簡単ではありません。とすれば、ダブルトラック用の歌を歌うときは、ソウルフルにではない風に歌う、ということが条件になってきます。これがダブルトラックをつくる場合の、歌手にとっての制約です。
しかしこうした「制約」は、われわれにとってネガティヴではありません。歌ううえでの制約を含むようなダブルトラックを好んで使うこと自体、そうしたダブルトラックに即した音楽を好んでいるからです。すなわち、歌う側の制約は同じように歌う、ということですから、そうした制約をよしとするということは、ひるがえして言えば、旋律を固定することをよしとする、ということです。ダブルトラックは、元々は、ビートルズらの時代に、一発録りでレコードをつくっていたころ、「旋律である」歌パートを埋もれさせないために使われた技術です。「へたな」歌をカヴァーするという効用もありました。しかしこんにち、歌手の表現力、録音技術の向上により、「必要性」はとぼしくなりました。それをいま、必要とするならば、それは、音楽上のスタンスの選択を意味します。その日の気分にまかせた演奏よりも、練りに練られた旋律の重視。旋律はもうつくりつくされた。旋律で個性は表現できない、という風なあきらめの裏返しの達観の下、その日の自分の気分にシンクロすることを客に求める音楽家、演奏家が散見されます。また客の側もやぶさかではない、という現状。旋律を食う「表現力」ならどぶに捨てるべきです。一見いんちきなダブルトラックという方法とともに、まじめな音楽を提供したい、というのがRecto Bersoの願いです。
だから、もうすこし、完成まで、しびれをきらしながら、お待ちください。
(春木)
つまり、いま、記録の段階はほぼ終えて、編集の段階にいます。今回のレコードに入れる曲では、ほとんどの歌パートに、ダブルトラック(トラッキング)という方法を適用しています。ダブルトラックとは、要は、同じ音程の、同じ音長の同じ音色の音(たとえば同じ歌手の声)を二つ(以上)同時に鳴らす方法のことです。この場合の「同じ」は厳密には、「ほぼ同じ」であって、まったく同じではありません。いまは音のディジタル複製ができ、ディジタル複製をした音は原理上、同じ音です。同じ音を二つ鳴らせても、個別の音よりただ大音量の一つの音が鳴るだけで、つまりは、「二つの音」になりません。ですから、ダブルトラックという方法は、「あらかじめ差異を含んだ同一の音」を複数鳴らす、というコンセプトに基づいています。
ダブルトラックでなにができるのでしょうか。ダブルトラックの処理を受けた歌パートは、きいたときに、たいていの場合、一つの音よりもよりふくよかな一つの音、となります。二つの異なる、しかしきわめて似た音がたがいに干渉しあいながら響きあうことで、ごく短いエコーにも似た効果が生まれます。しかし、エコーとはちがいます。ダブルトラックの二つの音は原音と残響音という固定した役割をもちません。どちらもがたがいに対して原音であり残響音であるというアンビヴァレントな在りかたをします。こうした、一つの音でありながら二つの音であるダブルトラックを使うにさいしては、一つの音と二つの音のあいだのどこに自分の理想のダブルトラックを位置づけるか、そのバランスのとりかたがポイントとなります。
二つの音の差異が激しい場合は(たとえば二つの音のあいだで音程がひどくずれている場合などは)、ふくよかな一つの音ではなく、たんなる二つの音(ツートラックス)にきこえます。こうなっては、ダブルトラックの醍醐味はありません。ぎゃくに、かぎりなく一つの音に近づける方法、アーティフィシャルダブルトラック(トラッキング)という特殊な方法もあります。これは、音声記録の段階では同一の音から、編集段階で異なる二つの音をつくることです。つまり、アナログ複製によってダブルトラックをつくります。ディジタルとはちがって、アナログで複製した場合は、複製であっても、複製媒体の不純物が混ざるため、完全に同一のものができません。この不完全な複製性能を(ある意味では)利用して、一つの、しかし二つの音を鳴らすことができます。ただしこの場合は、上手に不純物が混ざるしかたで複製しなければ、たんにちょっと大音量の一つの音にきこえてしまいます。
今回のレコードでは、音声記録段階で異なる音に基づくダブルトラックをつくっています。この方法でいく場合は、経験則でいえば、はじめから(ナチュラルに)に異なる音を用いるので、あとはナチュラルなレヴェルでの差異を小さくする、つまり歌手の側のスタンスで表現すれば、できるかぎり同じように歌った音を用いるときのダブルトラックの響きが理想です。これは歌手の側にしてみれば、ある種の制約にもなります。たとえばビートルズ初期のレノンのダブルトラックの歌パートには、ばらばらな感じ、つまり二つの音にきこえてしまうという傾向があります。他方で、マッカートニィのダブルトラックはよりまとまっています。これは裏から言えば、レノンの歌のスタイルに、マッカートニィに比べて、よりソウルフルな要素がある、ということです。ソウルフルとは、表現が豊か、というくらいの意味で言っておりますが、分析的に言えば、声のトーンのめまぐるしい変化や、シャウトやかすれといった歌手自身が制御しにくい効果音といってもよい技術を多用する、ということです。とくにレノンの場合は、そうした技術の効果をある程度偶然にまかせているので、そもそも同じように歌おうという意識も希薄です。こうした、ある種の一回性、あるいは、歌うたびごとのばらつきを醍醐味とする歌の表現上の要素は、いわばアーティフィシャルダブルトラックにになるべく近いナチュラルダブルトラックを志向する場合、ダブルトラックには向かない、と言えるかもしれません。もちろん完全にコントロールされたソウフルネスがあれば、問題はないでしょう。しかし、そうした表現力を得ることは簡単ではありません。とすれば、ダブルトラック用の歌を歌うときは、ソウルフルにではない風に歌う、ということが条件になってきます。これがダブルトラックをつくる場合の、歌手にとっての制約です。
しかしこうした「制約」は、われわれにとってネガティヴではありません。歌ううえでの制約を含むようなダブルトラックを好んで使うこと自体、そうしたダブルトラックに即した音楽を好んでいるからです。すなわち、歌う側の制約は同じように歌う、ということですから、そうした制約をよしとするということは、ひるがえして言えば、旋律を固定することをよしとする、ということです。ダブルトラックは、元々は、ビートルズらの時代に、一発録りでレコードをつくっていたころ、「旋律である」歌パートを埋もれさせないために使われた技術です。「へたな」歌をカヴァーするという効用もありました。しかしこんにち、歌手の表現力、録音技術の向上により、「必要性」はとぼしくなりました。それをいま、必要とするならば、それは、音楽上のスタンスの選択を意味します。その日の気分にまかせた演奏よりも、練りに練られた旋律の重視。旋律はもうつくりつくされた。旋律で個性は表現できない、という風なあきらめの裏返しの達観の下、その日の自分の気分にシンクロすることを客に求める音楽家、演奏家が散見されます。また客の側もやぶさかではない、という現状。旋律を食う「表現力」ならどぶに捨てるべきです。一見いんちきなダブルトラックという方法とともに、まじめな音楽を提供したい、というのがRecto Bersoの願いです。
だから、もうすこし、完成まで、しびれをきらしながら、お待ちください。
長らくお待たせしているうちに訪問者数がめっきり減りました。Out of sgiht...は世のつねですから、しかたありません。みんな刺激を求めます。変化を求めます。変化のないペイジにはおとずれる意味はないのです。
これ以上減ると復帰できないおそれがあるので、近況をご報告いたします。
Recto Bersoのレコードづくりを、温度と湿度の上昇を、(すくなくとも春木は)ものともせず、進めております。本日スタジオの温度は36度、湿度は30度(除湿機にて調整)です。
一日入ればサウナに入った気分で帰れるそうしたスチュディオで、80年前にアメリカで生まれたギターから、50年前にドイツで生まれた真空管機器、たかだか20-30年前に日本で生まれたわれわれに、最新のマッキントッシュOSまで、いわば赤子から外人のおじんおばんまでが、力を合わせてRecto Bersoの音を記録しています。ある意味でみんながそろって元気なことのほうが不思議で、だれかの調子が悪くなることもしばしばです。おおけがをして入院するやつもいれば、お役ごめんでリタイヤーするやつもいます。たがいの言語が通じないこともありますし、ジェネレイションギャップもあります。すべてはハプニングであって、みなのベストパフォーマンスを維持するのは、春木の統制力をもってしてもなかなかに難しい面もあります。
そうした事情もあり、予定より作業は遅れています。確実に遅れています。しかし終わりはきます。無理をしてでも終らせます。毎日の睡眠を1時間にしながらがんばっています。最近はがんばるひとがすくなくなりましたし、無理しないことがよいという風潮もあります。小さな幸せを求める傾向があります。しかし、しょせん小さな幸せは小さいのです。小さな幸せが大きいのだと言うのは詭弁であり、無理をしないという無理をすることです。ささやかな幸せ、日常の奇跡というキーワードで、さぼる理由、なまける理由を述べたてるのはばかげています。なまけるときは、「さあ、なまけるぞ。」「おれはなまけている。」と言ってなまければよいのです。そして順当に失敗し、負けて、失意にまみれればよいのです。
以上、演説風の表明をもって、近況報告とさせていただきます。
Recto Bersoのヌーレコードが買えるよう、いまからこづかいを貯めて(そんなに高くはありません。「無理」せずに買える範囲です。)、楽しみに首を長くしてお待ちください。機はもう、そこまできています。(春木)
これ以上減ると復帰できないおそれがあるので、近況をご報告いたします。
Recto Bersoのレコードづくりを、温度と湿度の上昇を、(すくなくとも春木は)ものともせず、進めております。本日スタジオの温度は36度、湿度は30度(除湿機にて調整)です。
一日入ればサウナに入った気分で帰れるそうしたスチュディオで、80年前にアメリカで生まれたギターから、50年前にドイツで生まれた真空管機器、たかだか20-30年前に日本で生まれたわれわれに、最新のマッキントッシュOSまで、いわば赤子から外人のおじんおばんまでが、力を合わせてRecto Bersoの音を記録しています。ある意味でみんながそろって元気なことのほうが不思議で、だれかの調子が悪くなることもしばしばです。おおけがをして入院するやつもいれば、お役ごめんでリタイヤーするやつもいます。たがいの言語が通じないこともありますし、ジェネレイションギャップもあります。すべてはハプニングであって、みなのベストパフォーマンスを維持するのは、春木の統制力をもってしてもなかなかに難しい面もあります。
そうした事情もあり、予定より作業は遅れています。確実に遅れています。しかし終わりはきます。無理をしてでも終らせます。毎日の睡眠を1時間にしながらがんばっています。最近はがんばるひとがすくなくなりましたし、無理しないことがよいという風潮もあります。小さな幸せを求める傾向があります。しかし、しょせん小さな幸せは小さいのです。小さな幸せが大きいのだと言うのは詭弁であり、無理をしないという無理をすることです。ささやかな幸せ、日常の奇跡というキーワードで、さぼる理由、なまける理由を述べたてるのはばかげています。なまけるときは、「さあ、なまけるぞ。」「おれはなまけている。」と言ってなまければよいのです。そして順当に失敗し、負けて、失意にまみれればよいのです。
以上、演説風の表明をもって、近況報告とさせていただきます。
Recto Bersoのヌーレコードが買えるよう、いまからこづかいを貯めて(そんなに高くはありません。「無理」せずに買える範囲です。)、楽しみに首を長くしてお待ちください。機はもう、そこまできています。(春木)
一見
それぞれドイツとオーストリアのさる家庭に、50年を経て、すばらしい状態で残っていました。つまりは、大して音楽に興味のないティーンエイジャーが、周りの友だちがもっているからといって、買ったわけです。見栄っぱりのティーンエイジャーに、ダンケシェーン!。
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プロフィール
HN:
Recto Berso
年齢:
3
性別:
女性
誕生日:
2007/01/13
職業:
音楽家
趣味:
作曲、川柳
自己紹介:
グループ名:Recto Berso
プロフィル:
西中、春木、ふたりの自作自演歌手から成るロックグループ。ひとをはっとさせる、かつ親しみやすいメロディをつむぎ、地域、時代にとらわれず広く長く世に歌い継がれる歌をつくりだすことがヴィジョン。英語、フランス語でつづったオリジナルレパートリーは20数曲、ストック曲は120を越える。神戸、大阪、京都を中心に生演奏会を展開。楽器、録音器材にこだわりぬいた100%手づくりの音源もききもの。
スタッフ:
ひとりめ
名:春木(はるき)
役割:Recto Bersoの創始者、ならびに精神的リーダー、作曲、作詞、声、ギター、ベイスギター、ピアノ、ドラムスなどを担当。
特徴:とりわけ古いギターたちを好む。
髪の色:こげ茶色
瞳の色:こげ茶色
肌の色:褐色
好きな食べもの:きのこ、豆、明太子メヨネイズ
好きな飲みもの:牛乳
好きな映画:とくになし
好きな曲:Hey Jude(Lennon/McCartney)
好きな作曲家:Paul McCartney、Robbie Robertson
好きな演奏家:Karen Anne Carpenter、Jakob Dylan
使う楽器:Gibson L-5 1929年製、Gibson J-45 1953年製、Gibson ES-225 1957年製、Gibson ES-330 1961年製、Fender Duo Sonic 1957年製、Fender Precision Bass 1973年製、Gibson L-50 1935年製
ふたりめ
名:西中(にしなか)
役割:Recto Bersoの推進者、ならびに肉体的リーダー、
作曲、作詞、声、ギター、ハーモニカ(キーはE、D、G、C、A)、ピアノなどを担当。
特徴:玩具を多数所有している。病弱。
髪の色:黒色
瞳の色:黒色
肌の色:白茶色
好きな食べもの:甘いもの
好きな飲みもの:マミー
好きな映画:Goonies
好きな俳優:River Phoenix
好きな曲:Wouldn't it be nice(Brian Wilson)
好きな作曲家: John Lennon Brian Wilson など
好きな演奏家:Bob Dylan John Lennon など
使う楽器:GIBSON HummingBird 1964年製 GIBSON Southern Jumbo 1959年製 GIBSON ES-225TD 1959年製
ヒストリィ:
2006年10月 西中と春木が出会う。
2007年1月 「Recto Berso」結成、および初めての生演奏会をする。
2007年3月 インターネットラジオ「噂のギグ」に出演する。
2007年6月 インターネットラジオ「噂のギグ」に出演する。
2007年11月 かの有名なギタリスト吉川忠英氏らとセッションする。屋敷豪太氏も同席。勉強する。
2007年12月 EMI主催オーディション 第1回Awake Sounds Audition 準優勝をおさめる。
2008年1月 録音をいっしょうけんめいにする。
プロフィル:
西中、春木、ふたりの自作自演歌手から成るロックグループ。ひとをはっとさせる、かつ親しみやすいメロディをつむぎ、地域、時代にとらわれず広く長く世に歌い継がれる歌をつくりだすことがヴィジョン。英語、フランス語でつづったオリジナルレパートリーは20数曲、ストック曲は120を越える。神戸、大阪、京都を中心に生演奏会を展開。楽器、録音器材にこだわりぬいた100%手づくりの音源もききもの。
スタッフ:
ひとりめ
名:春木(はるき)
役割:Recto Bersoの創始者、ならびに精神的リーダー、作曲、作詞、声、ギター、ベイスギター、ピアノ、ドラムスなどを担当。
特徴:とりわけ古いギターたちを好む。
髪の色:こげ茶色
瞳の色:こげ茶色
肌の色:褐色
好きな食べもの:きのこ、豆、明太子メヨネイズ
好きな飲みもの:牛乳
好きな映画:とくになし
好きな曲:Hey Jude(Lennon/McCartney)
好きな作曲家:Paul McCartney、Robbie Robertson
好きな演奏家:Karen Anne Carpenter、Jakob Dylan
使う楽器:Gibson L-5 1929年製、Gibson J-45 1953年製、Gibson ES-225 1957年製、Gibson ES-330 1961年製、Fender Duo Sonic 1957年製、Fender Precision Bass 1973年製、Gibson L-50 1935年製
ふたりめ
名:西中(にしなか)
役割:Recto Bersoの推進者、ならびに肉体的リーダー、
作曲、作詞、声、ギター、ハーモニカ(キーはE、D、G、C、A)、ピアノなどを担当。
特徴:玩具を多数所有している。病弱。
髪の色:黒色
瞳の色:黒色
肌の色:白茶色
好きな食べもの:甘いもの
好きな飲みもの:マミー
好きな映画:Goonies
好きな俳優:River Phoenix
好きな曲:Wouldn't it be nice(Brian Wilson)
好きな作曲家: John Lennon Brian Wilson など
好きな演奏家:Bob Dylan John Lennon など
使う楽器:GIBSON HummingBird 1964年製 GIBSON Southern Jumbo 1959年製 GIBSON ES-225TD 1959年製
ヒストリィ:
2006年10月 西中と春木が出会う。
2007年1月 「Recto Berso」結成、および初めての生演奏会をする。
2007年3月 インターネットラジオ「噂のギグ」に出演する。
2007年6月 インターネットラジオ「噂のギグ」に出演する。
2007年11月 かの有名なギタリスト吉川忠英氏らとセッションする。屋敷豪太氏も同席。勉強する。
2007年12月 EMI主催オーディション 第1回Awake Sounds Audition 準優勝をおさめる。
2008年1月 録音をいっしょうけんめいにする。
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